『いずれ、わかることだよ』
実習の企画書を書かねばならんのに、なんでブログなんて書いてるんだか…。
『知らぬが仏』
この言葉についてよく考えたここ二日間。
いやー私は知りたいよ?
厭なことも好いこともさ。
貴兄のことですもの。知りたいに決まってるじゃん。
…でもやっぱり昔の人はすげーなぁ、と思いました。
すばりそのとおりなんだもん。
知りたいと思ったのは自分だし、そこには最近流行の“自己責任”が付き纏うわけだけども…。
頭では納得してもパッションが納得しないんです。
そこで問題となるのは、このパッションを発露するか、否か。
人によってやり方は様々であろう。
それはそのパッションの発露に伴うリスクをどこまで負うか、に因るのではないか。
簡単にいえば、『うっとしいとか思われへんかな』とか
『これゆって嫌われたらどうしよう』とか、『でもなんか
もやもやするし』とか、『なんか腹たってきた』とか『なんで
私がこんな思いしなあかんねん』とか『一回死んで来い』
とか『ここはクールな大人の女として…』とか『でも私にも
非があるかも…』とか『ってゆうか好きってなんだっけな』
とか『もう信用できひん』とか『でも私自分のことは棚に
あげてるよな』とか『でも悲しいもんは悲しい』とか『男なんて
こんなもんやって』とか『ほら渚カヲルもゆうてたやん。A・T
フィールドは人間皆が持つ心の壁やって』とか『あーまた同じ
こと繰り返すんかな』とか『あんなに私のこと好きってゆってた
くせに』とか『結局私が方が溺れとんのかい』とか・・・・・・
こーゆーことが頭の中ぐるぐるぐるぐる・・・・・・と、ね。
こないだゼミでやったなぁ。
“リスク”と“危険”
どっちなのか見極めないと。
痛い目見るかも。
早めの回避もあり?
いやいや、どうかな。
そうそう、
貴兄が思うほど、女の子は拙くないんよ。