一種のあきらめのやうなもの


昨日、友人といじめに関する話をしたのだけど、
改めて『あんなしんどいことはないなぁ』って結論に至った。


就活とかで自己分析とか言われるけど、
そう言われたら、いじめられた経験がかなり人格形成に
影響を与えてるなぁと思う。


結果的にいうと悪いことばっかりじゃない。
というのは、あれを乗り越えたら何にも怖くなくなってくる。
(それくらい当事は辛かったということですね)


ちっちゃいことで悩まなくなったし。
他人といい意味で距離置くこと、これ大切、だと知ったし。


多くを求めず、
自分に無頓着に生きる。


今はこんな感じかな〜。


季節の移り変わりとか、いい音楽とか、好きな人の声とか、
そうゆうものに多く耳を傾けることによって、
ちゃんと自分は確認できるし。


悩むのが悪いと言いたい訳ではなく、
記憶を辿ってばかりでは、見えないものも多いと思うのです。


こうしている今も心臓はしっかりと打っているし、
でもこれは色いろなものに生かされているものだし。


殺さなくても、その人のすべてを手に入れることも可能なのでは、
と思ったり。
心の中で風葬すればいいのに。


卑屈になるのではなく、期待しすぎない、というのは
そんなに難しいことなのでしょうか。


でもそれはごく当たり前の希望を持つことすら難しい社会
が生んだ必要悪みたいなものなんでしょーか。









深夜に更新すると我ながら・・・・・・・


お見苦しいものを晒してしまってごめりんこ。


深夜に東京事変なんか聴いて書いたからです。
言い訳です。


落日はほんとにいい曲だ。
涙がでた。