自分の欲求によってなされているのだ

自分がそうしたいからそうしているのだ、という自覚を持つのは簡単なようで難しい。
自分でしたことの責任は自分で負わなければならない。
加害者になり得る覚悟を引き受ける潔さも必要になってくる。


話は変わるけど、恋愛なんてしなくても生きていけると人はいいます。
ってことは恋には遊びの要素も含まれるわけで。


真剣に遊べる男の子を、どうせなら選びたいと思う、女に生まれたからには。


あいつとやった、やってないの話しか出来ない男は魅力に欠ける。
どんなに無様でもいいから真剣にのめり込むことができるひと、私はこっちのがいいな。


またまた話は変わる。今度は洋服の話。


モスバーガーで友達と道行く人々を眺めていたら、こんなことに気がついた。
『ジャケットとシャツ着てる人がめっちゃ多い』
季節がら仕方ないのかな。
でも、どうよそれ?ってな気分になった。
だって道行く男の子の5人に1人くらいジャケットかシャツはおってるんだもん。
なんか制服みたい。とりあえずこれ着とけって言われたみたい。


洋服は恋愛にとって大事だ、と思う。
でも恋愛では、おしゃれとか今風とかそんなことはどうでもいい。


“脱がしたいと思うか否か”である。


男性的だw
でもほんとに恋愛に関しての洋服はそうゆう重要性を持ってると思う。
ベッドから床を見下ろした時に、どんな服が脱ぎ捨てられてるかって重要じゃないですか?